私は平日の朝、眠りから冷めやらぬ力も作用し、トイレで考え込む癖があります。
独身の時ならいざ知らず、家内と共同生活する身としては健全な癖とは言えません笑
何より家族は心配しますからね。考え込む内容はここでは触れないでおきます。
その癖を和らげる為、仕事の日でも、休みの日でも見境なく取り入れている習慣があるんです。
それは新しい知識を取り入れる事。
情報発信するという事。
知識と言っても、教育で学ぶ様な専門的な領域ではありません。
それは何かというと、会話から生まれる他人の感想です。彼女の話でも、奥様の話でもいい。
若い頃、『こいつがいう事なんて知れている』と思っていましたが、これは大いなる慢心です。
51歳になってようやく気づいた。
私は馬鹿でした。
人の声に耳を傾けることとは『世界を知る』ということです。世界観を知るという思いで人の言葉に耳を傾ける様にすると、彼女なり、奥さんから紡ぎ出される言葉は高尚なものになりますよね。
世界観を知るという事は旅をする事に限定されないという事です。
私は今まで、妻と食事に行った時、それまでにあった職場の出来事を話しました。出来事を通じて自分の中で解釈したことを伝えていました。
無意識にやっていた行為、後々にアウトプットというビジネスパーソンで使われる様になり、私も意識していた。
でもそれは全くアウトプットからかけ離れた概念として錯覚を起こしていたのです。
ネタを聞いてもらう事で、妻はその感想をくれる、この感想というものは私も妻も夫婦だけど異なる。
正しいとか誤っているとかの是非ではない、一人一人違う、新たな視点を学ぶ事が大切なんです。
妻との会話、動画を視聴して初めて吸収した事、学んだことを活かすためにブログにあげたり、YouTubeで他人に伝えるには伝わる様に言語化しなければなりません。
そうすると考えるという事が不可欠になる。考えるから頭が良くなる。頭が良くなれば成長する。
成長すれば、自己否定したり、鬱が介在する隙間ができなくなる。
そのために学ぶ時間を平日でも、休みの日でも習慣の中に取り入れているんです。