私の実家であった実際の出来事です(ノンフィクション)
元々夫婦仲が冷え切っており、更に旦那さんが趣味を優先し妻への思いやりを持つ 心を置き忘れたために破綻してしまった出来事です。結婚生活で趣味に100% 意識を投入する人に対してのアンチテーゼ でもあります。
我が家では母が1年おきに 入退院を繰り返すほどの 病弱な体質で広い家の掃除はお手伝いさんを雇っていました。彼女は50歳過ぎにがんの手術をしました。手術という方法は 対症療法です。対症療法では本来の免疫力を上げることができません。食事 や 生活リズムの改善をできる限り 試してきましたが100%の回復を手に入れることは不可能でした。
我々 家族の生活を営んで行くにはお手伝いさんの力に頼らせていただくことは不可欠でした。シルバー人材センターの派遣で我が家に面接にお越しになったのがT さんだったのです。
T さんの生い立ち
T さんにはご主人と3人の息子さんがおられます。
息子たちはすでに一人 立ちし現在はご主人との二人暮らしです。
T さんは東京生まれでご主人の転勤で実家のある北海道に移住してきました、同居した姑のイビリは壮絶を極め真冬でも手袋をつけることを許さなかったと言います。
ご主人の給料だけでは家計を支えられないそんな T さんは牛乳配達を始めました、当時は息子さんたちも幼かったから母親が配達に出ると駄々をこねて泣く。息子がうるさいから『おい 息子を連れて 牛乳配達に行け』とご主人に命令されていました。
Tさんは我が家のお手伝いさんをする事になった
それから 息子たちが成人し社会人になってからも配達の仕事は続けました。
T さんは60代の時に持病の膝が悪化し室内の業務に切り替えました、シルバー人材センターに登録し、面接で我が家に来られたのです。
母は快活で明るい T さんを一目で気に入りました、面接では T さんは 週1回の勤務にしたいとのことでしたが、『1日ではなく 週3日で契約していただけませんか。その代わり お体や ご家庭のことはできる限り尊重させていただきますので』という申し出を受けられ、我が家で仕事をされることになりました。
東京で青春時代を過ごしたTさん
我が家と T さんの共通点は若い頃から東京に住んでいたことです。
T さんは芸能人の追っかけをしていた経験があり 芸能通の母と話があいました。お互い 青春時代を苦労しながらも 謳歌してきた点で相性が合いました。我が家で仕事をすると元気を取り戻せると言われていました。
ご自宅の生活は居心地が悪かったのです。 その要因は夫婦生活に原因があることを後から知りました。
ご主人は妻より鯉を可愛がる人だった
ご主人は仕事一筋で子育てから家事の全てを妻の T さんに任せてきたという 典型的な 昭和世代の方です。食事もT さんが我が家の仕事から帰宅するまでテーブルで待っているという方です。
『少しは自分で簡単な食事を作ってくれれば体が楽なんだけどね』 と漏らされていた事もありました。
ご主人は退職後、鯉を飼育することが趣味になりました。自宅に鯉用の池を作り鯉を増やして行きました。真冬は暖房を切っていました。
T さんの脊椎管狭窄症とひざ関節症は悪化しました。 暖房を切ることによる日常生活の体の冷えが一因でした、会話で些細なことでもめるとT さんの顔を平手打ちしていたと言います。喜怒哀楽がはっきりしたT さんですが、手を上げられた時はぐっとこらえてました。
Tさんの症状は悪化した
札幌で40年以上にわたる刻苦にT さんの体は蝕まれました。
膝関節症を患っていた頃はストレッチで乗り切れましたが、リウマチと自己免疫疾患が同時に発症してから 等々治療中心の生活に切り替えるため 我が家との雇用関係を打ち切ることになりました。
母に息子達は同居を勧めたが
2人の息子はそれぞれ 東北と関東で仕事をして家庭を築いていました。
『今のままではお袋のことが心配だ。お袋を粗末にする親父のことなど知るものか。 お袋 一人ぐらいなら俺たちが十分養える俺たち どちらかの家に住め。』とTさんの身を案じ同居を促しました。
『私は父さんと腐れ縁なの。 この先の未来はなるようにしかならないわ。』と息子たちの誘いを断り、移住を変えず病気で倒れてしまった。しかし見舞いはおろか 看護をしない ご主人、唯一の救いは息子達の愛情に恵まれていたことです。息子さんたちはそれぞれの生活の合間を縫って T さんの見舞いにやってきました。
人間は何を選択したかで未来は決定する
T さんは自分一人で生活する資金は蓄えられていたし青春の思い出が詰まった東京で余生を過ごすことが夢でした。しかし 思いやりのない ご主人と連れ添う人生を選択した。幸せを望んでいるのに そうではない方向に向かう人間の矛盾を感じます。
寝たきりになったTさん
リウマチと自己免疫疾患によって ベッドの上での生活を余儀なくされていたT さんの病状は改善することなく 寝たきりになりました。
寝たきりになる事で脳の機能が衰え 認知症になってしまいました、今では 見舞いに来る人々の顔の判断もつかなくなりました。私の妻の認識もなく、『私はもう何も分からなくなってしまったわ』と困惑の表情を浮かべられていたそうです。残された日々が病室の真っ白な天井を見る事だけを思うと私の心は切なくなります。
結婚して幸せです。彼女が私のところに来てくれて感謝しています。
妻は外出することが大好きで 私がドライブで提案するところにはどこでもついてきてくれます。
交際していた頃はドライブ中、自分たちの生い立ちや 人生の価値観をたくさん話をしました。
明るく優しく そして 看護師。
私の人生で 唯一無二の存在であり この縁を大事に捉えなければもう機会は訪れないと感じ 彼女に4年前にプロポーズさせていただきました。
仲むつまじく 本当に毎日幸せです。下記が結婚するまでの私の軌跡です。